生い立ちprat11(引退まで)
こんにちは😃
Bodystoic静岡の片寄です😊
今日はS級カムバックから引退までを一気に書いていこうと思います。
S級に戻ってからはもうA級には戻りたくないと思いその時に持っていたA級レーサーパンツを全て捨てる事にしました。
それは持っているとまた戻らなければならないと暗示がかかってしまうからです。
引き出しの中に常にS級のレーサーパンツだけ入れていればそれが当たり前になるからです。
そしてこの頃から自分の点数(競走得点)が3期から2期に変更になりました。
それは1〜6月と7〜12月と2期に分けられることになったのです。
2期に分かれると言う事はそれだけ点数を落とせない。(9着を取ると低い点数)
そして何より2ヶ月伸びたことにより余計なプレッシャーや点数の事を気にしなくてはならなくなったのです。
大きい着を取れば点数は下がるし1着を取ればステイか少しだけ上がります。
何が大変かと言うと点数は落とすのは簡単ですが上げるのは本当に大変💦
点数が上がると言っても0.5点とか微妙な数字しか上がらないのです。
選手時代は自分が走った時の点数がつきます。
(②になります)
競走得点がその人の価値みたいな風習が競輪界にはあったのです。
強ければチヤホヤされますがこの点数が下がってくる頃にはチヤホヤもされなくなるのです。
S級で強い選手は常に新聞記者さんに囲まれその中で点数の少ない選手はインタビューも受けることが少なくなるのです。
S級は華やかなイメージでとてもお金を稼いでいるイメージもあると思いますがこれは表面上の賞金。
実際に手取りで貰う時はなんだかんだで半分近くになるのです。
F1で3連勝して120万弱の賞金。
9.9.9着をすれば22万円程度です。(S級でです)
A級3班(チャレンジは悲惨)
Gクラスになると賞金も跳ね上がりますがやはり上のクラスの人に勝っていかないといけない難しさ。
年齢を言い訳に出来ないしましてや怪我をしてまでも走っている選手までいる。
その中でどんなに練習しても超えられない物があります。
努力だけでS級は取れます。
S級1班は才能も必要です。
しかしグランプリに出る9選手はこれは運も持っていない出れないのです。
選ばれし9選手なのです。
僕に足りなかった物はDNAなのか運なのかこれは本当に分かりません。
ただS級1班まで行った事実は揺るぎないものがあります。
しかしS級1班を維持するのも相当な苦労もあります。
グレードレースに出ていないと本当に点数は102〜5点程度にとどまりグレードレースに出れれば105〜110点は持っていられます。
怪我などをすれば擦過傷程度であれば無理してでも走れます。しかし骨折になると2〜3ヶ月はレースから離れてしまいます。
僕の場合は調子が良くなると落車して怪我をしてを2〜3回繰り返しなかなか点数を上げることが出来なかったです。
ですが競輪の神様(選手間で言われる神様)は見捨てることしませんでした。
この僕にでも努力してレースで先行してたおかげでF1で優勝することも出来ました。Gレースに至っては全ての重賞レースに参加することもできました。
何事も諦めるのでは無く継続して自分をアピールしていれば必ずチャンスが巡ってくるということです。
選手になって喜んで練習をさぼればそこまで。強くなりたいと言う思いが強くなれば必ず道は開けるのです。
競輪選手になって良かった事は自由な時間が沢山ありそして沢山のファンの前で自分のパフォーマンスを披露できた事です。
22年競輪選手として走って来ました。
たくさんの野次やお褒めの言葉も頂きました。至らない部分も沢山あったと思います。
ここで感謝の気持ちを言わせてください。
22年ありがとうございました。
本当に調子が良かった頃は楽しかったです。後半は持病の腰痛に悩まされレースにも参加出来ずただ逃げるだけのレースが多かったと思いますがこれも人生。
今は第二の人生としてパーソナルトレーナーをしていて体の悩みや筋トレに関する事などをしっかりと教えていく立場にいます。
人生折り返し地点。
引退してまだまだ輝ける世界がある。
もうファンの前に立つ事はありませんがこれかは指導者としてしっかりと人生を楽しんでいこうと思います。
ご愛読ありがとうございました。
これにて簡単な生い立ちを終わりたいと思います。
これからは少しでもお悩みの方の解決になればと情報発信などをしていこうと思います。
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