生い立ちprat2(競輪学校編)
Bodystoic静岡の片寄です😊
さてさて話は競輪学校入学時になりましたね!
私は1年浪人して競輪学校に合格しました㊗️
当時1年に2回も受験があり高校卒業から無職のままトレーニングに勤しむ次第でありました!
勿論朝3時半からの朝練は勿論毎日の日課の街道(山道など)トレーニングをしてから午後からはウエイトトレーニングを行っていました!
今でこそウエイトトレーニングの重要性は高まっていましたが僕の時代ではまだまだ認知される事が少なく会員数も沢山は居ませんでした。
勿論トレーナーと言う方もいなくジムのスタッフさんみたいな方がウエイトトレーニングのやり方やマシンの使い方などを教えてくれました!
『当時はいつか受かるだろう❓』
そんな考えの元トレーニングをしてましたので良い加減なトレーニングだったと思います笑
その気持ちが出てきたのはインターハイで個人で3位や団体戦で優勝など輝かしい実績があったからです。
スイミングや陸上部では大したトレーニングなどしてなく試合には出れてましたのでなんて事無いと思ってましたが自転車だけは違いました!
何せ親がめちゃくちゃ真剣😱
手を抜く様ならすぐにバレ怒られる羽目になるからです💦
息子を競輪選手にしたいと願う父と受からなければならないと思う息子。
本当に親に感謝でした🙏
そして晴れて競輪学校に入学しました!
そこに待ち受けていたのは
『団体行動‼️』
それはそれは恐ろしい学校で今でも脳裏に焼き付くくらいの学校生活でした😨
最初の1週間は先生達も優しい🤩
しっかりと色々な事を教えてくれました!
が、1週間が過ぎて突然
『鬼教官👹』
に変貌したのでした💦
行進で少しでもズレたら怒られ挨拶の声が小さいと怒られ時には教官必須アイテム
『竹刀‼️』
をケツバットを喰らう日々がスタートしたのでした。
こんな学校に10ヶ月も住むなんて😱😱😱
当時の僕は悪夢でしかありませんでした。
しかし人間は不思議なものでその環境にもなれる様になってきてました!
ただ何がきついって時間が制限される事!
これがかなりキツかったです💦
朝は6時30分起床で15分以内に布団を畳み四隅を揃えて着替えて外に出て点呼。
点呼の間教官が一部屋一部屋布団チェックに入ります!
そこで畳み方が悪い布団の生徒は呼び出してその場で竹刀😭
朝から『バッチーーーン‼️』って音が山々を突き抜けました!
そして夏、冬関係なく朝から寒風摩擦!
ここまでお読みになった方ならお分かりでしょう!
そう!今で言うパワハラ笑
そんな言葉は1995年代は存在しませんでした!
ってか反抗するものならビンタまでお見舞いされる次第💦
朝からパワハラ炸裂されながらも錬成(マラソン)をしてました!
もう朝の日課ですね。
長い距離もあれば階段上りもあります。
当時は寒風摩擦をする事で体を強くすると言う事が昔からの風習でしたが今となってはただ風邪やインフルエンザになる確率が高くなるだけです。
そう考えると我々の時代は体が頑丈で根性論で生きてきた事が伺えます笑
そして錬成も終わりここからが朝ごはんタイム!
朝からマラソンやら寒風摩擦やら空腹の時間に体を動かす事をしたので朝から食欲は化け物並みに皆ありました。
そして当時私の体重は73kgで入学してました。
それがみるみる増えに増え78キロまでに到達しました!
勿論食事制限はなし食べたい物(出てくる給食)で5kg太りそして毎回ついてくるカロリーメイト笑
食事で腹いっぱいの中誰が食う?
カロリーメイトさんは後に学校にいる鯉の餌になります!
粉々に砕いてそれを鯉に食わせるのが風習でその鯉も栄養満点の餌でブクブク太る笑
あり得ないくらいに。。。
通常の鯉の2倍はありましたね笑
さてさて今日はこの位でまた後日この続きを書きたいと思います。
勿論競輪学校在籍時の話です!
乞うご期待!
prat3へ続く
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