片寄の人生〜ラストストーリー〜
Bodystoic静岡パーソナルトレーナーの片寄です。
昨日は少しだけ筆者の事を書いてみました。後少しだけ書いてみようと思います。
競輪選手になるきっかけはおじいちゃんが競輪が好きだった事もあってです。静岡北高等学校に入学して自転車部がある事を知りそこに入部することになりました。入部してからは毎日朝3時半から6時まで父親と二人三脚でトレーニングをしていました。父親も大好きだったボーリングもやめて僕のトレーニングにつきっきりになりました。毎朝毎朝雨が降ろうと風が吹こうと関係なしに起こされてました。勿論体が疲れてるときは休ませてもらってましたが基本的には毎日トレーニングはしていました。
自転車部に入部はしたものの自転車がなかなか来なくてなり始めは一番ビリッケツでした。タイムを測ってもそんなタイム出るのってくらい遅かったです。同級生の中ではビリでした。先輩からは見込みが無いから辞めろ!とまで言われましたが、その話を聞いた父親が見返してやれと。そこから地獄のトレーニングが始まりました。このトレーニングがあったから競輪選手になれたんだと思ってます。
最初はなんでこんなに苦しい事をしているのか分からなかったのですがだんだんと自分に力がついてきて自転車を進ませるスピードが速くなっていきました。早くなっていけば面白くなってきますよね。そんな日々が続いて高校3年の頃には同級生の中では1.2位を争うまでになっていました。ここまで来ると『競輪選手』という職業があるという事もわかっていました。タイムも入学できるタイムでしたので競輪学校の受験を受けました!勿論、勉強などしてこなかったから慌てて勉強をしましたが頭の中まで筋肉になっていたので勉強だけは全く出来ませんでした。現役で合格したら77期としてデビューしていましたが勉強が苦手だった事もあり1年浪人して79期として競輪学校に入学しました。ここで諦めてたら選手にはなってないしフリーターかアルバイトの道が待っていたかもしれません。
高校生の頃から父親に扱かれて継続する力が備わっているのかもしれません。現在でも毎日のようにトレーニングしています。現役の頃は出来なかったトレーニングなども含めて今は色々なトレーニングに手を出して勉強しています。今年の目標はBIG3を伸ばす事ですがそれだけではなくまた新たなチャレンジなどもしていこうと模索しています。
44歳でも体の進化はします!年齢を重ねてもいつまでも体は変わります。
『歳だから』
『体力がない』
『やっても無駄かな』
など最初から諦めていたらいつまでも成長は見られません。成長を止めたらそこからは後退するだけです。いつまでも成長し続けるために日々の継続する何かを見つけてそれを生涯やっていくことが継続する力だと思います。
競輪選手になれて幸せだったしそこで学んだ事が今も生きています!これからもまだまだ成長して強く逞しい体を手に入れます!